映画『ミスムーンライト』が面白い!舞台挨拶付き先行上映の感想・レビュー!

行ってきました、特別先行上映!!
舞台挨拶付!!

地元でこんなイベントめったにないので、夜中寝ないでチケット予約したんですが、それ以上の価値はありました!

もう声を大にして言っておきたいのが、マキちゃん役の主演女優・梅村結衣さんがめちゃくちゃ可愛かったことですね!

握手してもらったんですが、嬉しすぎて「マキちゃん大好きです!」って思わず告白してしまいました。
(冷静に考えると変な男がいきなりそんなこと言ってきたら怖いだろうに申し訳ないなー!)

勢いで言った後にそこが女優さんたちが並ぶ真っ直中だってことに気づいて、あまりのきらきらオーラに気圧された僕は、そのまま逃げ帰ってしまうという愚行に…。
その後トークショーがあったらしいんですが、聞いてないですー!

あー他の女優さんたちもお願いしたら握手してくれたんだろうか!

でもいいのです…梅村さんとは握手してもらえました…。
あ、監督は大人気で近づけませんでした…。

というわけで、この記事では前半にネタバレなしでミスムーンライトの感想、後半にネタバレありの考察をしていきたいと思います。

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ミスムーンライトとは?

松本卓也監督が新潟の新発田を舞台に製作した作品です。

「新発田」って読めますか?

しばた」と読みます。

松本監督は元々お笑い芸人として活動していて、コンビ解散後に独学で映画製作の道に進んだらしいですね。
(こちらの記事に書いてあったよ!http://cinefil.tokyo/_ct/16861741

今作『ミスムーンライト』でも、元お笑い芸人らしい軽快でリズム感のあるユーモアが随所に散りばめられていました。

で、どんな話なの?

というわけで簡単にあらすじを紹介してみます。

物語は新発田中央高校映像部から始まります。
映像部の女の子たちが役場に依頼されてPR映像を作り、「素晴らしい!」と絶賛されてはいたのですが、PR映像を撮影したマキはどうも納得がいかない様子。
同じ部に所属するクラちゃんより面白いものは作れないと自覚していながら、葛藤を胸に秘めていたマキは、ある日、まったく別のPR企画を思いつきます。
なんとその新企画が、「水着」。
周りは当然のように微妙な反応をするのですが、閃いてしまったマキちゃんは周りを強引に巻き込みながら、モデルを水着姿にしようと狂ったように交渉していきます。
その狂気が和やかなムードに変わるとき、物語は大きく動き出すのでした…。

はい。

群像劇のあらすじ紹介の鉄則は一人の人物に絞って紹介すること…というわけで、『ミスムーンライト』は群像劇ですがマキちゃんに絞ってみました。

まさかの新企画「水着」をキーワードにして物語が収束していきます。(言い過ぎかな)

後で詳述しますけど、脚本も逸品でした。

CMでは「女子高生が一肌脱ぎます!」みたいな宣伝文句が並んでいますが…。

そんな露骨な宣伝文句でいいんですか!?

これは「女子高生が一肌脱ぐ」映画?

いやいや違います。

可愛い女子高生がモデルを脱がしていく映画です!!

このモデルさんに水着突きつけるマキちゃん可愛すぎじゃないですか?

ちなみにキャストに勝俣州和いるの知ってます?

ええ、みなさん期待していてください!!!
脱ぎますよ!!!勝俣脱ぎます!!!脱がせます!!

もちろん予告ムービー通り、女子高生も脱ぎます…。

人によっては、あれ、いかがわしい映画かな?と思うでしょう。

でも実は水着になることには、脚本上意味があるんです。
エロというよりはギャグよりで、老若男女楽しめる映画であることは間違いないですね。

関係者でいっぱいの先行上映でしたが、ある場面で劇場内の子どもが「パパ!」って叫んでいました。
お父さん出演してたかなー!?

ちなみに公式サイトはこちら。

さて、お次は感想。
物語を読み解くヒントと共にお送りしましょう。

ミスムーンライトの感想

映像技術

僕が「お」と思ったのは、映像技術でした。

『ミスムーンライト』はレンズ越しの映像が使われます。
物語冒頭もまさに映像部のカメラで始まるわけですが、これが相当見づらいのです。

画面は揺れるし、被写体は近すぎるし…。

ところが、実はこれ演出でした。
物語が進むにつれて、女子高生たちもだんだん映像技術が向上していくんです。

この演出は「映像部で作成したPR動画」を現状のままにし、撮り直すことをしなければ存在しなかったであろう女子高生たちの成長なんですよ。

さらに、冒頭にそんな素人感溢れる映像を持ってくることで親近感が湧きます。
出演者と観客の距離が一気に近づいて、感情移入しやすくさせるんですね。
あーこれはクラちゃんが撮っているのか、と。

そして今作は群像劇でありながら、必ず誰かのカメラ(視点)に映されているのです。
(監督が舞台挨拶で言ってたよ)

中でも大きな意味を持っているのは、「マキちゃんが撮影するカメラ」と「博和が撮影するカメラ」。
同じ撮影者でありながら真逆の信条を持つ二人なのですが、それはレンズ越しからでも伝わってきます。

たとえば、同じ海を撮っているはずなのに、「誰が撮っているか」によって「海」の意味がまったく変わってくるのです。

このあたりを意識して観ると、キャラクターの心情や葛藤がより深く味わえるのではないかと思います。

低予算

監督が「他の映画に比べてゼロ3つくらい少ない」と言うように、この映画は明らかに低予算で作られています。

でも見終わった僕からしてみると、「ゼロ3つくらい少ない(けどこんなに面白いもの作れるんだぜ!)」って言っているようにしか聞こえません!

演出も脚本も低予算だからなんだというくらいレベルが高い。

確かに今売り出し中の超絶人気女優や大御所俳優が出てくるわけではありませんし、映像技術による過度な演出があるわけでもありません。
ところが、この映画はそれが必然であったと言える。

先述したように「女子高生が撮っている映像」を冒頭に持ってくる親近感や観客との距離の近さは、「誰でも知っている役者」を使ってしまったら演出できないのです。
わざわざ地元でオーディションをしたことを考えれば、これは明確に監督が意図していたことではないかと思います。

素朴な役柄が多いとはいえ、出演者の方々は本当に可愛いので、これから有名になってもおかしくないのですが…。
僕は梅村結衣ちゃんに惚れました…。

話が逸れてしまいましたが、カメラが複数存在するのは、ただ親近感を演出するだけに留まりません。

脚本上、大きな意味を持っています。(ネタバレなので後述しますけれど)

むしろ、演出のために複数カメラが用意されたのではなく、脚本において複数カメラが用意される必要があったのです。

なので監督は「低予算」と自虐的に言っていますが、この作品は無理に予算をかける必要もなかったんだと思いますし、むしろ過度な演出があったらせっかく冒頭で掴んだ観客の心を離してしまう結果になったかもしれないと僕は思いますね。

女の子

監督の性癖がもろに出てるのかな?

抜群のプロポーションの女の子がたくさん出演していました!
祖母さんも祖父さんもマキちゃんが脱がしちゃう(語弊がある)んですが、祖母さんですら巨乳です。

そんな煩悩をエキサイトする女の子たちをお寺に集めちゃうって、もの凄い演出ですよね!
よく撮影許可出たな!!

でもよくよく考えてみると、ふざけているばかりでもなく、やはり考察よりの演出が存在していると思いますね。
脱がしていくことにも意味はあるのです。

そして一見して誤解されてしまうことであるからこそ、そこに物語は生まれます。

目の保養に顔を緩ませてるだけじゃなくて、もっとちゃんと観てみましょうね!

パワーワード

「海って、ブルーだよね」

なんだそれええええ!!!

地元ネタ

ここはもう個人的に楽しめたことなので飛ばしても大丈夫です!笑

物語に登場する新発田中央高校ですが、もちろん実在している高校ですね。
「映像部女子しかいなくね!?」と思った人もいそうですが、新発田中央高校は元々女子校だったらしいです。(今はバリバリ共学)
親戚にも通っていたい人がいます(聞いてない)

そして、登場する温泉やお菓子も実在しています!

月岡饅頭は有名ですね。
手頃に県内旅行が楽しめるということでうちの祖母さんもよく月岡に行くし、近所の祖母さん祖父さんも月岡に行くので、お土産の饅頭は毎月1~2回くらい食べていた時期がありました…。

あそこには高級旅館もあるので、お金持ちは行ってみるとよいのです…。

感想のまとめ

・女子高生は確かに一肌脱ぐよ!
・でもそれは脚本上必然性があるよ!
・そうじゃなくても可愛い子がいっぱいだよ!
・実は驚きの脚本だよ!
・映像技術や演出にも注目だよ!
・梅村結衣ちゃん可愛いよ!

以上。

観るかどうか迷っている方。

観て損はしません。
僕は「水着」がここまで脚本上重要な意味を持つ映画を知りません。

他に類を見ない面白い映画だと思いますよ!

さて、次はいよいよネタバレを含む考察をしていきます。

ミスムーンライトの考察(ネタバレ含)

こっからネタバレがあります!

ネタバレ問題なし派の方か、既に見終わった方に、僕はこう解釈しましたというのを読んでいただければ。

では、まず「脱ぐこと」について考察してみましょう。

あらすじでも触れていますが、マキちゃんが抱える葛藤は分かりやすく表現されています。
最初に作ったPR映像は絶賛されました。
でもそれは、「女子高生という素人が作った部活レベルのPR映像」という型にはまったものだから褒められるわけであって、マキ自身は納得していないのです。

型にはまっていること自体も、それを褒められることにも。

そこで奇抜なアイデアとして「水着になる」を閃きます。

ところが、誰だって水着になんかなりたくない。
だからなかなか賛同は得られず、アイドルとして活動しているみさこさんを呼んでくる。
が、撮ってみても納得のいくものにはならない。

博和に相談しようとするのですが、信条の違いから怒鳴られてしまう。

そして、名場面。

グラビアアイドルのDVDって知ってるか?そんなもん撮ってる男から学ぶことあるのか?ねえだろ!

おかしいことをしたい」と言ったマキちゃんはここで脱ぎ始めるんです。

はい、この瞬間に「脱ぐこと」の意味がはっきりしますね。

それは、自身の殻を破ること

物語では重要な意味を持つ「成長」こそ「一肌脱ぐこと」だったのです。
(余談ですが、これは記号論で言うと「成長」がシニフィエ(意味)であり「一肌脱ぐこと」がシニフィアン(意味の表現)になります。)

一方で既に水着になっていたアイドルたちですよね。
役場の人に「こんないかがわしいことやめろ」と言われ、グラビアアイドルのあんあんは言い返すわけですよ。

グラビアは、いかがわしいものじゃない!」と。

あんあんかっこいいい!

なぜなら彼女にとっては「殻を破った」先、自分のやりたいことを貫いているのがグラドルなわけですから。

水着になるというのは、自己表現の手段であり、それがマキちゃんの企画では「地元の人々に個性を表現してもらう」という意味でも「一肌脱いでもらう」だったわけですね。

クラちゃんのお父さんも言っていたじゃないですか。

ただカメラを回しているだけではダメ、と。

役者を活かすために自己表現してもらうのは、打って付けの妙案だったのではないでしょうか。

一方で、水着姿の人を映していたのはマキちゃんのカメラだけではありませんでした。

博和のカメラもそうなのです。

カメラはなぜ複数存在したのか?

過去に囚われた博和のカメラには死んだ人間が映ります。
マキが楽しいムードで海を撮っても、博和のカメラでは海が怖ろしいものにすら見えてきます。
カメラは揺れ、まるで入水自殺を示唆するかのような雰囲気を漂わせるのです。

同じ海なのにこうも違う景色を映してしまうのは、二人に見えている景色がまったく違うからに他なりません。
そしてそれは、「レイさえいればいい」という博和と「周りを巻き込んででも突っ走ってしまう」マキとの対比になります。
過去に生きる人間(と死んでしまった人間)」と「現在に生きる人間」の対比でもありますね。

これはまさに映像を記録しておける「カメラ」という媒体だからこそ、「過去」と「現在」が共存できる。
そういう意味では、素晴らしいキーアイテムでした。

死んでしまったアイドルもミュージックビデオの中では生きているわけですし、過去に囚われた博和のカメラでも生きているように見えるのです。
月明かりの下、カメラのレンズ越しにグループが再会して踊る場面は感動でした。

あそこで音楽を流さなかった演出も感動です。
これは「グループ全員が生きていた頃のミュージックビデオ」との対比ですね。

今では絶対に集まることのないグループが満月の下に集まっているわけですよ。
過去とは決定的に違うから無音なのだし、グループはなくなったし、音楽も歌えなくなった、それでも乗り越えていく決意をしたみさこの心情であり「成長」が美しいですね。

そのきっかけになったのが、「人を巻き込んでしまう」という欠点を長所に変えることのできたマキが演出する「一肌脱ぐ」であり、「水着」だったりするのだから他にない面白い脚本だったなと僕は思うのです。

というわけで、『ミスムーンライト』面白かったです!

次回作も楽しみですねー!!

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